2020年07月25日

読書と花火

本というのは、迂闊に買ってしまうと「いつでも読める」と思って、逆に放置してしまうことが多い。

電車通勤など移動が多ければ空き時間を利用して読むのだが、ずっと同じ部屋にいると内容以前に、"よし、読もう"という意識にならないと難しい。つい、他のことをやってしまうのだ。

そんな感じだから、借りてきた本も読み始める迄に時間がかかることがある。
今回もそうだった。
ヤヴァいな...と焦りつつスピードを上げ、漸く今朝読み終えた。

一仕事終えたような感じだが、この放置癖はどうにかならないものか。
コレさえ無ければ、もう少しマシな人生が送れるはずなのに(涙)


さて、次はコレの読書メモを書く。
やはり読むだけだと記憶には残らないから、これは不可欠。
面倒だけど頑張れ>じぶん。


★追記
昨夜全国で花火があったらしいけど、ウチからは音しか聞こえなかった。
今夜も夜の8時近くになって、音がしたので慌てて外に出ると花火だった。
外に出て、暫し鑑賞。
一部が雲に隠れたりもしたけど、やはり日本の夏は花火だなと。


posted by Joey at 23:09| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか- 世界遺産「潜伏キリシタン」の真実』読了

最近は、どこか寝ることを拒否しているように思えてならない。
最低限のノルマをこなして早く寝られる日でも、gdgdと起きている。
そのうち睡魔に襲われるのが分かっていても、目を閉じてしまえば明日(日付は既に変わっていても、自分にとっての新しい日)がやってくる。
1日が過ぎても、生きたのではなく、ただ生存しただけ。それを断ち切りたくて、何かやらねばと空回りしているのが正直なところだ。


さて、先日読み終えた本について書いておきたい。
読もうと思ったきっかけはよく覚えていないが、おそらくSNSで誰かが紹介していたからだろう。

筆者が書いている通り、参考文献からの引用でパッチワーク的にまとめ上げた本だ。
戦国時代の全体像からキリスト教が伝来、そして何が起こったのかを書いている。

まず、戦乱の渡世に関しては、乱取りが普通だったとは知らなかった。
農民も含めて戦いに参加し、勝利した側が人も含めて奪っていくというもの。
切羽詰まった人が何するかは分からないというのは、今も昔も替わらない。
当時の食糧事情を考慮すると、こうでもしない限り生き残ってはいけなかったようだ。
混沌としていた時代がありつつも、日本は徐々に世界と対峙していかねばならなくなっていく。

日本にキリスト教を伝えた人としては、ザビエルが有名だ。
実際はそれ以前にもいたようだが、本書ではその旨は書かれていない。

キリスト教徒というと、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」と教えられるくらい文句も言わずに奉仕するイメージだったが、ザビエル所属のイエズス会はかなり違う。
軍隊に近いくらいであり、とても日本人に対してはかなり差別的であったことが何度も出てくる。
建前上は平等を謳う西洋社会でも、大東亜戦争時は言うに及ばず、その300年も前から白人の意識は変わっていない。先日のジョージフロイド殺害を見る限り、今でも白人の中にはそういう意識が残っているように見受けられる。

キリスト教的価値観(を白人が勝手に解釈したもの)は、当然のことながら日本の伝統的な宗教ともぶつかる。神社が焼き払われたり仏像を壊されたりと、争いが頻発する裏には植民地化する野望もあり、コエリ司祭は日本へスペイン軍の派遣を求めたほどだ。
信長、秀吉などがキリスト教に対して、ある程度までは受け入れる考えを持っていたのとは好対照だ。

この話題になると、日本人奴隷についての言及は避けられない。
彼らは主人の家名やキリシタンとしての洗礼名で呼ばれたようで、本書では洗礼名で書かれているものが多い。
ヨーロッパだけに送られたのかと思っていたら、マカオ、フィリピン、ゴア(インド)、メキシコ、アルゼンチン、ポルトガル、スペインなど、世界中に散っていった。これらの中には、年季奉公的な働き方をした例もあったとのこと。
ポルトガル国王が日本人奴隷取引を禁じる勅令を出しているが、イエズス会はポルトガル商人に奴隷船に許可を出していたので、状況は知っていたはずだ。彼らが平和の使者ではないことは、本来ならば学校でも教えられるべきだろう。


最後に島原の乱以降、隠れキリシタンがどのように信仰を繋いできたのか、生月島(いきつきしま)の例が紹介されている。
土着化したキリスト教を守り、カトリックに戻るのを拒否したというのはプライドを感じて、ちょっとだけ誇らしい。

なぜ秀吉はバテレンを追放したのか- 世界遺産「潜伏キリシタン」の真実



ラベル:歴史
posted by Joey at 23:18| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

『兄の終い』読了

FBかどこかで紹介されていて、興味を持った本。
タイトルは、一瞬僕のことか(涙)と錯覚してしまった。

内容は簡単に書くと、不仲だった兄(享年54歳)の訃報を知った妹が遺体回収、遺品整理をする話。

誰かが亡くなった話は数多あれど、この本のようなパターンを題材にした例は珍しいと思う。
それなりに仲が良い家族ならまだしも、縁が殆ど切れてしまった状態で、血縁関係だからという現実を突きつけられるのだ。

没後数時間で息子に発見されたから良かったものの、時間が経てばアパートの床板張り替えとか、大事になる。それ無しでも、離婚した男やもめが住む部屋の後始末は大変だ。
死んだ後、ぶつぶつ文句を言われることを想像するくらいなら、普段から綺麗にしておこう。
筆者の、”本以外は物を増やさないようにしている”というのは心に留めておきたい(超汗)

この本の内容は数年前の体験に基づいた話だが、今は武漢ウイルスのせいで経済状況は遙かに悪化しているから、生きにくさを想像するだけでも頭痛がしてくる。
著者の兄は息子と2人くらしだったから、助けられたことが随分あったのではないだろうか。
糖尿病になって、作者にお金を無心するほど仕事にも恵まれない。1人だったら、もっと早く亡くなっていたに違いない。
「子は鎹(かすがい)」という言葉は、夫婦間のことを指すが、僕は親と社会をつなぎ止める鎹でもあると思っている。子どもがいるおかげで、生活に張り合いが出来るし、社会との接点ができるからだ。子どもを持つというのは楽ではないが、このように親が享受する面も多々ある。

子どもの立場からすれば、家にお金が無いことは薄々感じていたはずだ。ひねくれてしまってもおかしくはない。
それでも、お別れ会の時に先生やクラスメートが泣いてしまうほど周りに受け入れられていたのは立派だなぁと感心せざるを得なかった。離婚した実母に引き取られる迄の2週間だけ里親と過ごした話から察する限りでも、周りと上手くやっていける優しい子なのだ。


最初は、なかなか本を手に取ることが出来なくて放置していた僕は、返却期限が迫ってきてようやく読み始めた。
風景描写が随分長い箇所があっても、全体的には読みやすい。
普通の人なら早く読める。

この本を、ある無名の男性が急死したことだけを書いた、とは受け取らないで欲しい。
妙齢になると、働けても仕事が見つからず、見つかったとしてもマックジョブに毛が生えた程度の仕事。家族がいれば、文句の一つや二つは言われるだろうから、悶々として過ごさないといけないジレンマを抱えている人が少なからずいる。
そういった闇がある今の日本を僕らは生きている。

誰もが死ぬという当たり前の現実を、僕らはつい忘れがち。元生命保険の営業マン曰く、多くの場合は突然やってくるようだ。
自分が死んだらどうなるのかについては、たまに考えて見るのは悪くない。
特に女性陣が部屋を片付けるシーンを読むと、ぼっちとしては身震いがしてくる。

兄の終い

posted by Joey at 20:00| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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