最近は、どこか寝ることを拒否しているように思えてならない。
最低限のノルマをこなして早く寝られる日でも、gdgdと起きている。
そのうち睡魔に襲われるのが分かっていても、目を閉じてしまえば明日(日付は既に変わっていても、自分にとっての新しい日)がやってくる。
1日が過ぎても、生きたのではなく、ただ生存しただけ。それを断ち切りたくて、何かやらねばと空回りしているのが正直なところだ。
さて、先日読み終えた本について書いておきたい。
読もうと思ったきっかけはよく覚えていないが、おそらくSNSで誰かが紹介していたからだろう。
筆者が書いている通り、参考文献からの引用でパッチワーク的にまとめ上げた本だ。
戦国時代の全体像からキリスト教が伝来、そして何が起こったのかを書いている。
まず、戦乱の渡世に関しては、乱取りが普通だったとは知らなかった。
農民も含めて戦いに参加し、勝利した側が人も含めて奪っていくというもの。
切羽詰まった人が何するかは分からないというのは、今も昔も替わらない。
当時の食糧事情を考慮すると、こうでもしない限り生き残ってはいけなかったようだ。
混沌としていた時代がありつつも、日本は徐々に世界と対峙していかねばならなくなっていく。
日本にキリスト教を伝えた人としては、ザビエルが有名だ。
実際はそれ以前にもいたようだが、本書ではその旨は書かれていない。
キリスト教徒というと、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」と教えられるくらい文句も言わずに奉仕するイメージだったが、ザビエル所属のイエズス会はかなり違う。
軍隊に近いくらいであり、とても日本人に対してはかなり差別的であったことが何度も出てくる。
建前上は平等を謳う西洋社会でも、大東亜戦争時は言うに及ばず、その300年も前から白人の意識は変わっていない。先日のジョージフロイド殺害を見る限り、今でも白人の中にはそういう意識が残っているように見受けられる。
キリスト教的価値観(を白人が勝手に解釈したもの)は、当然のことながら日本の伝統的な宗教ともぶつかる。神社が焼き払われたり仏像を壊されたりと、争いが頻発する裏には植民地化する野望もあり、コエリ司祭は日本へスペイン軍の派遣を求めたほどだ。
信長、秀吉などがキリスト教に対して、ある程度までは受け入れる考えを持っていたのとは好対照だ。
この話題になると、日本人奴隷についての言及は避けられない。
彼らは主人の家名やキリシタンとしての洗礼名で呼ばれたようで、本書では洗礼名で書かれているものが多い。
ヨーロッパだけに送られたのかと思っていたら、マカオ、フィリピン、ゴア(インド)、メキシコ、アルゼンチン、ポルトガル、スペインなど、世界中に散っていった。これらの中には、年季奉公的な働き方をした例もあったとのこと。
ポルトガル国王が日本人奴隷取引を禁じる勅令を出しているが、イエズス会はポルトガル商人に奴隷船に許可を出していたので、状況は知っていたはずだ。彼らが平和の使者ではないことは、本来ならば学校でも教えられるべきだろう。
最後に島原の乱以降、隠れキリシタンがどのように信仰を繋いできたのか、生月島(いきつきしま)の例が紹介されている。
土着化したキリスト教を守り、カトリックに戻るのを拒否したというのはプライドを感じて、ちょっとだけ誇らしい。
なぜ秀吉はバテレンを追放したのか- 世界遺産「潜伏キリシタン」の真実