2020年09月09日

『英語と日本軍 知られざる外国語教育史』読了

SNSで紹介されていて、他では見られない切り口に興味を持った。
オランダ他から技術を学び始めた江戸時代から終戦直後までに、国としてどのように外国語の習得を推し進めていたのかを書いている。

歴史に興味を持って近現代史にまつわる本を読むようになり、多くの人は「兵站」を軽視していたから日本は負けたと言う。しかしながら、外国語習得においても陸軍と海軍で方針が違うだけではなく、戦略的に学ばせる視点に欠けていた。ガッカリ、である。

今のように教材が何でも手に入って、その気になれば格安で語学留学に行ける時代ではないから、外国語を身に付けるのが困難だったのは想像に難くない。

そんな状況であっても、最初の方に出てくる、アメリカの日本語特訓コース(ドナルド・キーンも参加している)の話が興味深い。両言語は全く違った体系に基づくものであり、モノリンガルが多いアメリカ人が覚えるのは苦行であったのだろう。なんと自殺者まで出ている。
相手は、ここまで本気になって日本を倒そうとしていたのだ。
それに引き換え、日本の兵学校での英語教育は十分だったとは言えない。仮想敵国を英米とした海軍とは違い陸軍はドイツLOVEだったようで、東条英機元首相がナチスに入れ込んでいたこともあって、ドイツ後を学んだ人は出世コースだったようだ。戦場で使えるような会話集が与えられても、日本兵にとって使用頻度が高い筈の中国語、朝鮮語に至っては、殆ど教えていない。

これだけでも、「差」感じざるを得ない。

実際、終戦後の報告書「日本陸海軍の情報部について(P185)」によると、ドイツが勝つと断定し、連合国を不当に過小評価していたとある。情報学級、情報課程(いわゆるインテリジェンス)も無かった。
過去に戻れるなら、お節介な僕は昔の上司が教えてくれた「段取り八分」という言葉を軍の上層部に送りたい。
準備の段階で勝敗は、ほぼ決していたのだ。


当時のエリート集団でさえ、「通常の授業によって実用的な英語を使いこなせる将校を養成することは困難だった(P265)」とあるのは、現在でも大きく変わってはいない。これは完全な植民地になったことがないということであり、最近話題のモンゴル自治区のように母国語を奪われることが無かったのは幸せだった。
お陰で、日本語だけで生活が事足りてしまう以上、自助努力無くして語学力が向上するのはあり得ない環境になってしまったのはやむを得ない。

それでも英語習得を目指すなら、オーラル・アプローチ(模倣、記憶、文系練習/P220)の一択だろう。米軍が日本語の特訓に用いたやり方だ。裏を返せば、これ無しでは上達は覚束ない。それを確認できただけでも、この本を読んだ価値はあった。



★その他
・第1回伝習生は、1年数ヵ月の訓練で長崎〜江戸まで蒸気船(観光丸)を廻航した
・特攻隊での戦没者には、エリートはとても少ない。一覧表を見て、つくづく人生はアンフェアだと思った。ブラック企業と変わらない。
エリートは生き残り、戦後公務員や実業界に転身するなどしている。海上警備隊が1952年に作られた時も、幹部や下士官の98〜99%は海軍出身者だ。
・ポツダム宣言黙殺が報道された為に、原爆投下に至った(拒否すれば、完全な壊滅と警告されていた/P214)


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posted by Joey at 22:41| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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